真っ当に怒る

真っ当に怒ることが、いつからかとても苦手だ。

 

あの時もこの時も、愛されたいという想いもあり、「私がこんな風だから言われるのだ」と思ってしまっていた。不当な扱いや、理不尽な態度にさえ、怒れなかった。

 

でも最近よく思う。

真っ当に怒るってことは、自分の感受性、体、存在を自分で守るってことでもあるんだということ。

怒っていいんだよな。

嫌いは嫌いでいいんだよな。

ムカついたっていい。

 

でもだからってしていいことと悪いことがあるから、できるだけ品位を持って冷静に他者に接したいと思った。

 

言葉の品性、他者への想像力ってなんなんだろう、そんなことを考えた昨日だった。

 

 

 

 

 

 

あのこのにっき

 どうにもこうにもならへんことばっかりなような気がしてる。ずっと先も。

 

胸のあたりがきゅうってして、「あ、わたし、泣くかな」って思ったけど涙は全然でえへんかった。

うまく泣けたらすっきりしたんやろか。

 

心をどこかへ飛ばす癖はいつからついたんやろう。

いっつも胸がもやもやしたり、きゅうってしてきたら、心臓をもぎ取ってどっかのどぶにむかって放り投げてる妄想をする。

ドボン、っておちたそれは、濁った水といっしょに海まで流れてくんやろうなとか、そういうことを考えて、夜やったらなんも汚いもんも見えんくて、ただ水面がキラキラ光って綺麗なんかなとか考えたりする。そしたらわたしも、どっかに流れていけそうで安心する。

 

 久しぶりにカナと廊下ですれ違ったら、夏やのに長袖着るようになってた。クラス変わってからみたい。アイは「リスカやで、あれ。キモいよな」っていってた。そんなこと簡単にいうアイって怖いなって思った。わたしもあるもん、切りたくなる時。

 

 いつも切るんは怖いから、太ももにシャーペンの先っぽで跡をつけてみたりする。ちょっと赤くなっただけで、すぐ消えてしまって、なんか寂しかった。だんだん強く当ててると、加減がわからんくなってくる。結構きつくしてもうて、跡が結構のこった。スカートの中やから、絶対に誰にもバレへんところ。ちっちゃい傷があるだけやのに、なんか特別なお守りを持ってる気分になった。

 

いつか痛いのが怖いって思わんくなったら、わたしもカナみたいにいっぱい切るんやろか。もうクラスも変わって喋らんくなったから、前みたいに話しかけたらあかん気がするし、こういう話は気軽にしたらあかんことやとも思う。

 

昔はこんな感じじゃなかったのに、わたしいつからこんなん考えるようになったんやろ。

最近は自分が、ちょっと怖い。

 

 

 

 

 

20240702雑感 

子供の頃、雨に濡れるのがすきだった。

 

しとしと雨なら傘は役に立つけれど、大雨暴風では傘なんてあっても役には立たない。

もうそういう時は傘を畳んで、どうせ濡れてんだとばかりにずぶ濡れになって歩いて帰った。

雨が降ると草の匂いをより濃く感じることができたし、雨粒が肌を打ち付ける痛みも心地よかった。

 

鍵っ子だったから、家に帰ると誰もいなかった。

湿度が充満した部屋に入ってクーラーをつけ、衣服を脱ぎ捨て風呂に入る。風呂から出て新しい服に着替えたら布団にくるまり宿題なんてせずに兄の部屋から持ってきた漫画を読み、飽きたら眠った。

 

眠る前、そんなことを思い出した今日だった。

 

 

20240623雑感

久しぶりの仕事に出かけた。風邪を拗らせて、喘息様の咳がでるようになってしまい、元々の希望休とる合わせたら4日振りの仕事だった。

 

仕事はなんとか穏やかに過ごせたけれど、問題なのは酷くなってきている離人感。

自分がわからない、心と体が不一致すぎて、誰か違う人格と欲望が自分の行動の主導権を握っている感じ。なんでこんなことしてるの?がずっと続いている。

 

仕事が終わって、自分らしくない服が着たくなってちかくの服屋にいった。

ファストファッションが並んでいる中で普段なら絶対着ない服をカゴにいれる。意味がよくわからない。急に、いつもと違う化粧をして出かけたくなってしまってしまった。だからなんやねんっておもうけど、そういう衝動が止まらない。変身願望なのか、逃避なのか。そこに喜怒哀楽や現実感はなくて、体が砕け散りそうになる。

 

にこにこ笑うたびに、からっからって空洞から音が聞こえる気がしていた。何をしていても、そんな感じの1日だった。

 

井戸のイメージが湧いたりもした。

てくてく歩いて行って中を覗くけれど、水は枯れてしまっていて、遠くから風の音だけ聞こえているみたいな。

それをずっとわたしは見ていて、「なんにもないな」って感じてる、ただそれだけ。

 

いつからこうなっちゃったのかなっておもうけど、昔からこんな感じだったな、なんて思ったりもした。

 

みんな平然と生きているとしたら、みんながみんな壊れもせずに、はみ出さずに生きているとしたら

って考えてぞっとしてしまう。

出さないでいる壊れた部分を、少しずつ吐き出せる何かがあればいい、と思う。

それは、世間から後ろ指さされるものかもしれなくて、でもその人はそういうものがないと生きていけなくて、なんだかそんなことを考えていてまともってなんなん?ってなる。

 

だけど、義務がくる。

時間に追われる。

役割がある。

 

こんなことを書きながら、晩御飯のメニューを考えているのだから、混沌もいいところだ。

 

 

 

20240523雑感

 朝7時まで子供達と二度寝してしまった。完全に怠けている。45分に小学一年生になった長男を送り出さないといけないため食パンを焼こうとすると、「パンケーキ、やいて。」となぜか睨まれたので、すごすごパンケーキを焼いた。遅れて次男が起き出してきて、お皿を用意してみるも、「ばぶー」と赤ちゃん返りしてくるので、「はいはい、たべさせるばぶねぇ、かわいいねぇ」などとおだてかわいがりなんとか食べさせた。その光景を長男が見ていて、「なんでばぶなん?普通に甘えればええやん。」と呆れており、「はぁ、俺の人生、どうなってくんや」とか言ってくるので吹き出してしまった。なんかかわいいので、「はぐする?バブする?おいでー」なんて言ってたら、本気で呆れられて、そそくさと登校していった。

 

長男を送り出し次男を幼稚園に送り届けたあと、

今日は仕事が休みだったので近くのパン屋に出かけた。子供たちが食べそうにないハード系のパンを買い、スタバのドライブスルーでコーヒーを買ってかえった。たまには贅沢とおもうけど、最近確実に財布の紐が緩んでいる。

 

 帰宅してスマホを見ると懐かしい人から連絡があり、少し話した。誰かの正直な言葉は心を打つ。ふわりと心があたたかくなる。だけど、それを受けながら何かをリアクションや言葉を返したい時、わたしの正直はどこにあるのかわからず、いつもへらへらしてしまう。わたしはそういうわたしが好きになれない。

 

 

夕方は、いろんなことを思い出してしまった。

 

17歳の時に好きだった男の子のこと(会わずに終わったイカれた恋だった、会わないのに30代に至るまでいろんなところですれ違っていた)。生まれ育った海の景色。各駅停車しか止まらない無人駅。夏休みの布団の湿り気。

 

 別の人と話していたのに、なぜそういうことを思い出したのかわからない。

たまにふと思い出す人たちがいて、恋しくなってしまうのをやめられない。みんなそういうものなのか、私の性分なのか。過ぎ去った季節のことをよく思い出す。夏が近づいているからなのかもしれない。

 

 感情的になりすぎるのはよくないと、今日は音楽を聴きながら家事をした。最近本を読めなかったけれど、少し読めそうな気がしてきている。

それはもしかしたら、紛らわし、でしかないのかもしれないけれど。寂しさをうまく飼い慣らしていきたい。

 

 

カウンセリング備忘録 5月

 心療内科に通い始めて1年を機に、病院併設のカウンセリングを受けることにした。

 

 担当の医師から私のしんどさの原因が過去のPTSDによるところが大きいとのことで勧められたのだ。過去の出来事を整理しつつ、適切な自己理解を行う、というのがとりあえずの目的らしい。一ヶ月に一度のペースで受診していて、5月は2回目だった。今のところ、過去の出来事の確認をしているところで何かが劇的に変わるみたいなことはないのだけれど、育ってきた環境に問題があったとはっきり受け入れることができてよかったと感じている。

 カウンセラーによって指摘されたことの一つに父のアルコール依存症がある。基本的に父の場合は暴言がセットのよくない飲み方で、毎日の機嫌で酒量の増減はあるものの、呑みながら吐き出した言葉を次の日には忘れる始末であった。父のアルコールの問題について、私や家族間での解釈では「手が震えてないからまだ依存症レベルではない」と思っていたのだが、カウンセリングを受ける中で父が立派なアルコール依存症であると受け入れることができた。「手が震えてない」「肝臓を壊していない」「そこまで社会や他人に迷惑かけてない」「働けている」からまだ大丈夫、では決してないのだということ。父は自分がアルコール依存だとは微塵も感じていないと思われるし、小言を言いながらも世話をし続ける母も共依存関係であるとのことだった。

 両親に関してもう一点客観的に指摘されたことがある。それは虐待についてだ。父から受け続けた言葉による否定や暴言を、私は虐待とまでは思っていなかったし、母の対応もネグレクトだとは思っていなかった。どこか虐待=身体的や性的なもの、という理解だったため、自分が虐待されてきた、などとは感じていなかった。もしかして、受けてきた言葉の否定って虐待だったのだろうか、と思うようになったのは市の広報に「面前DVや言葉による暴力も虐待です」との文言を見たからだった。今回、私の生育歴をカウンセラーの方と確認していく中で、「これって虐待なんですか?」と改めて聞いたら「虐待ですね」とサラッと言われた。誰かに指摘してもらえたことは初めてだった。けれども、まだこの言葉や事実については自分の中で受け入れられていない。受け入れるにはあまりに重い言葉だとも思っている。

 虐待とはいっても、多種多様である。ゆえに、サバイバーという言葉を使うことに躊躇いを感じる人は多いと思うし、身体的な虐待を幼少期から受けてきた知人と話すときに感じた遠慮をなぜ感じるのかのよく考えてみると「私は言葉だけだったしね」みたいな卑下がどこかにあるのだ。虐待をされた人の間でも、分断や比較が起きてしまいそうで、自助会なるものに行く勇気が持てないのが正直なところである。

こうやってここに曝け出して書いておくのってどうかとも思うけど、いつか自分の経験について誰かのためになることもあるかもしれない。少なくとも私のためにはなるのかもしれないし、記していけたらと思う。

 

参考までに、私が受けているのは心療内科併設のカウンセリングなので、カウンセリングルームより格安で受けることができている。前回の請求額は2000円と少し。カウンセリングを受けるときに金額はかなり弊害になると感じていて、必要な人に支援が行き届くようになれば、と願っています。

 

 

 

 

大丈夫になっていくように

 

唐突だが、元々私は子供が嫌いだった。そんな私が子育てまあまあ楽しいと思えるのは子供達のおかげだ。

彼らと話してる時の私は、お茶目で楽しいやつだと思っている。

 

 もうすぐ5歳の次男はまだまだおっぱいが好きで、たまに思い出したように吸ってきたりする。面白いしかわいいしで、「いつまで吸うん?」って聞いてみたら、「100歳なるまで吸う〜!」なんて言ってて笑かしてくれる。長男とは女友達のノリでいつも楽しい(最近どこで覚えたのか小声で「お母さんって好きな人おるん?」って聞いてきたりする)。

 子供たちの想像力にはいつも驚かされる。隣の部屋って宇宙に繋がってるんだよとか、月で洗濯はできないよなあ〜とか、そういう発言に癒されるし、刺激をもらう。いつまで楽しい関係でいられるかわからないけれど、できるだけ長くこんな生活が続けばいいのに、とおもう。

 もちろん楽しいことばかりではなくて、それ以上にしんどいことも山ほどある。自分のこれからの働き方とか考えたら軽くどんよりしてしまうこともあるけど、子供を育てるってマイナスなことばっかじゃないってどこかに書いておきたかった。

 

 世の中に横たわる分断や、冷笑や、どうにもならない諦めとかを全部、笑い飛ばしてやりたいと思ったと思えば、先行きが不安になったりと、今日は感情が忙しかった。仕事に行けば、相変わらず挨拶を無視され続けているし、そういうことで気持ちを抉られる自分の軟弱さに嫌気が刺してしまったりもした。そんなふうに感じがちな日々の中でも、意識的に今日は全部嫌なことばかりではなかったよね?と、確かめてたかった。書くことで、確かめたかった。大丈夫になっていくように。きっと、いろんなことがこの先うまくいくよと信じる気持ちも少しは持っていたいのだ。