カウンセリング備忘録 5月

 心療内科に通い始めて1年を機に、病院併設のカウンセリングを受けることにした。

 

 担当の医師から私のしんどさの原因が過去のPTSDによるところが大きいとのことで勧められたのだ。過去の出来事を整理しつつ、適切な自己理解を行う、というのがとりあえずの目的らしい。一ヶ月に一度のペースで受診していて、5月は2回目だった。今のところ、過去の出来事の確認をしているところで何かが劇的に変わるみたいなことはないのだけれど、育ってきた環境に問題があったとはっきり受け入れることができてよかったと感じている。

 カウンセラーによって指摘されたことの一つに父のアルコール依存症がある。基本的に父の場合は暴言がセットのよくない飲み方で、毎日の機嫌で酒量の増減はあるものの、呑みながら吐き出した言葉を次の日には忘れる始末であった。父のアルコールの問題について、私や家族間での解釈では「手が震えてないからまだ依存症レベルではない」と思っていたのだが、カウンセリングを受ける中で父が立派なアルコール依存症であると受け入れることができた。「手が震えてない」「肝臓を壊していない」「そこまで社会や他人に迷惑かけてない」「働けている」からまだ大丈夫、では決してないのだということ。父は自分がアルコール依存だとは微塵も感じていないと思われるし、小言を言いながらも世話をし続ける母も共依存関係であるとのことだった。

 両親に関してもう一点客観的に指摘されたことがある。それは虐待についてだ。父から受け続けた言葉による否定や暴言を、私は虐待とまでは思っていなかったし、母の対応もネグレクトだとは思っていなかった。どこか虐待=身体的や性的なもの、という理解だったため、自分が虐待されてきた、などとは感じていなかった。もしかして、受けてきた言葉の否定って虐待だったのだろうか、と思うようになったのは市の広報に「面前DVや言葉による暴力も虐待です」との文言を見たからだった。今回、私の生育歴をカウンセラーの方と確認していく中で、「これって虐待なんですか?」と改めて聞いたら「虐待ですね」とサラッと言われた。誰かに指摘してもらえたことは初めてだった。けれども、まだこの言葉や事実については自分の中で受け入れられていない。受け入れるにはあまりに重い言葉だとも思っている。

 虐待とはいっても、多種多様である。ゆえに、サバイバーという言葉を使うことに躊躇いを感じる人は多いと思うし、身体的な虐待を幼少期から受けてきた知人と話すときに感じた遠慮をなぜ感じるのかのよく考えてみると「私は言葉だけだったしね」みたいな卑下がどこかにあるのだ。虐待をされた人の間でも、分断や比較が起きてしまいそうで、自助会なるものに行く勇気が持てないのが正直なところである。

こうやってここに曝け出して書いておくのってどうかとも思うけど、いつか自分の経験について誰かのためになることもあるかもしれない。少なくとも私のためにはなるのかもしれないし、記していけたらと思う。

 

参考までに、私が受けているのは心療内科併設のカウンセリングなので、カウンセリングルームより格安で受けることができている。前回の請求額は2000円と少し。カウンセリングを受けるときに金額はかなり弊害になると感じていて、必要な人に支援が行き届くようになれば、と願っています。