『夜明けのすべて』を観て

 気づけば3月ももう半ば。2月後半から現在進行形で、4月から小学生になる長男の入学準備、次男の新学期の準備などに追いかけ回されている。加えて、2月はすこぶる心身の調子が悪く、日々の繰り返しだけでは心が壊死しそうだったので、隙間隙間で映画や音楽、本を摂取する時間をなんとか捻じ込んでいた。『PERFECT DAYS』も『哀れなるものたち』も『夜明けのすべて』も終映ギリギリやったけど、映画館で観れて本当によかった。

 

 映画館で映画を観ることは、今やもう失われていく運命にある行為なのかもしれない、などと真剣に考えたりしてしまう。これだけ配信サービスが充実して、手頃にいつでも自宅で映画を見れる時代だ。わざわざ映画館で観なくても〜と思う人の気持ちもわからなくもない。それなのに、わざわざなんで映画館で観たいのか。昨日観た『夜明けのすべて』のシーンを反芻しながら、今日はずっと悶々している、そんな日だった。

 『夜明けのすべて』は人と人が支え合う姿、人が人との関わり、仕事によって変わっていく姿を本当に丁寧に描いていた。そしてその姿をカメラがきっちりと捉え、映しているということに素直に感動してしまった。

 私はあなたじゃない、あなたにはわからない、私とあなたは違うでしょと分断することは簡単で、山添くんがPMSパニック障害では全然違いますよね、というように、辛さや苦しさ、抱えている事情はそれぞれのものでしかない。ただ、だとしても人は誰かを心配することもできるし、おにぎりを渡すこともできる。自転車をあげることもできるし、一緒にポテチ食べながら本を読んだり、おしゃべりすることもできる。日々忙しく生きていたら見逃してしまいそうなささやかな優しい瞬間がたくさんこの映画にはあった。そして、何より、ざらついたフィルムで撮られた美しい夜がそれらを包み込んでいた。音楽がポロポロと夜の光のように鳴っているのもとても良かった。

 個人的に好きだったのは、藤沢さんがおせっかいで持ってきた自転車に山添くんが初めて乗るシーン。電車に乗れない山添くんが、藤沢さんが困っているだろうと、スマホを家まで届ける。風を受けて走っている、その風がスクリーン越しに感じられてくる。なんて気持ちよさそうなんだろうと思う。この人は緩やかに、変わっているんだと、風を感じながら思った。

 プラネタリウムを見上げるシーンも良かったけれど、二人で歩道橋で夜空を見上げるシーンも捨てがたい。なんてないシーンなんだろうけれど、見上げた夜空は映さずに、見上げている二人をカメラは捉える。一緒に夜を過ごし、共に存在しているということ。ただそれだけのシーンにグッときてしまった。

 現実はきっとこの映画よりももっと残酷だし、過酷だろうと思う。だけど、近くにいる友人にくらいはこまねいた手を解き、一歩踏み出して、「大丈夫?」と声をかけるくらいはできるかもしれないなと、藤沢さんのめげないおせっかいを見ていて思ったりした。