ピアノのこと
一人きりでピアノの前に座らなくなってからもう何年なんだろう。その辺の記憶が曖昧だけど、16とか17あたりから、私はピアノを弾くことができなくなった。正確には実家のピアノの前に座ること、開けることをやめた。
昔はただ楽しく弾ければ良かった。人に聞かれるとか、そう言うことよりも、ただ今日の風はこうだった!とか、こんなふうに感じたとかそういうことをピアノに託せばよかった。そして、そういう遊びを両親、特に母が「上手だねぇ」と誇らしげに見つめてくれることがとても嬉しかった。ピアノを弾けることが私の自慢だった。
だけど、いつからか、わたしよりも上手な人は山ほどいる、とか、下手くそな音だな、とかそういうことばかり考えるようになっていった。そこからピアノを弾くことが徐々にしんどくなっていった。それだけならよかった。昨日改めて気づいたのはピアノを弾くことは記憶のトリガーになってしまっている、ということ。フラッシュバックまで行かないまでも当時の家の居間にいる苦しい感覚にがっつりひきもどされてしまうのだ。
そういうこともあり、長年ピアノ(これも不思議と生のピアノが特にしんどい)を弾けなくなったのだとおもった。
そういえばもう一つ、思い出したことがある。
中学生の頃、毎日帰宅後ピアノを練習していたのだけれど、弾くことをやめてしばらくして、実家の斜め前に住んでるおばさんから、
「最近、ピアノの音が聴こえない。どうしたんだろう?ってうちの子が言ってる。楽しみに聴いてたのよ」と声をかけられたことがあった。
その方の息子さんは、視覚障害があるらしく、お見かけしてもほぼ挨拶すら交わしたことのない隣人だった。
楽しみにしていてくれた人がいたんだということが私には意外だった。
自分のためにしていることが、思わぬ形で誰かに届いているのだと、そういうことを戸惑いながら感じたのを覚えている。
その人にとっては、私が下手くそだと貶した音楽が別の形で届いていたのかもしれない。
そこから、ピアノに向かえないままだったけれど、その時感じた
「自分のためにしていることが思いがけず他者のためになっている」という感覚は今の自分の支えになっている。
まぁ、そういうわけで、昨日久しぶりに鍵盤を触ったのだけど思いがけず楽しさもあった。
わぁ、弾けなくなってんなぁぁ、やっぱちょっときつくなるなーとも思ったけど、それでも弾いた音を誰かに聴いてもらえることが嬉しかった。たまに子供にせがまれてトトロとか弾くと、目を輝かせて聴いてくれるのだから難しく考えることなんかないのかもしれない。今の私には、うまく弾くことよりも、自分の音に耳を澄ましていくほうがもっともっと大事なんだと思う。それは、ピアノだけのことではない。自分の感覚を大事にする、という意味で。
鍵盤に指を落とす。耳を澄まして、身体の軸で音を感じていく。響きによって空気が揺れる。そして自分が消えていき、音と一体になっていこうとする、あの感じ。目を瞑ると余計な雑念が消えていき、透明な世界になる。目を瞑りながらもみえる光のようなものにむけて、進んでいく、あの感じ。泣きたくなる、あの感覚。わたしは、いつもそういう場所に行きたかった。音をただ楽しんでいたかった。それだけでよかった。
昨日、そういうことを思い出せて、本当に良かった。
39
得られるかもしれないと思った時に
夢でしたよと言わんばかり
一瞬でもいい夢を見たなと 大人のふりばかりしている
あの頃の私がださいとおもっていた大人が 今の私。
冷たい水を浴びたつもりが 実はぬるま湯だったせいで 思ったほど体は冷えもしない。
ずる賢く、鈍く。
それでも、39年生きた。
そんで、まだ、生きる。死ぬまで。
ださくてもいいから、濁ったシミみたいな言葉を吐いて書き残していきたい。
けしごむ
あなたのせかいから
わたしは
けしごむでなにもなかったかのように
けされてしまったようだった
おもいきり、そしてあまりに、ちからづよく
20241214〜20241216雑感
先週の金曜日から偏頭痛の兆しで首がやけに痛いなあと思っていたのだけど、土曜日は全身の関節と筋肉がだるくて重く動けなくなっていた。しんどいよー起きれないよーと思って、うだうだしてたらもう7時をとうに過ぎていた。体が辛い時は一人2階の寝室で寝ているので、1階の夫と息子たちを起こす。私の夫はものすごく寝起きが悪い。冬は特にだ。布団を剥いで、息子たちに襲撃させるが(ダイブさせたり、こちょこちょさせたり、パンツ引っ張ったり)それでも起きないので、最後はだいたい夫婦間でガチのプロレスが始まるのだけど、流石に今日の様子はやばいと思ったのか、夫はすんなり起きてきた。なんや、お前できる子やん、と思う。
朝の薬を飲むため、海苔ご飯をちょこっと食べて2階に引っ込み、そこから気づけば19時くらいまでノンストップで寝ていた。トイレに行き、また海苔ご飯をちょこっと食べて夜の薬を飲み、風呂にも入らずまた眠った。そんな土曜日だった。何も気にせず寝れることの幸せを思った。1階ではバタバタと子供たちの声が聞こえていた。夫に感謝。
日曜日はPTAの役員決めがあるとかで仕事を休みにしていたのだけれど、インフルとかあの辺のだとまずいしな・・・と思い欠席。寝ながら、どうか免れてくださいいいと祈る。当たらなかったが、今期の地区委員さんから「来年はあなたですよー心構えしててね」というようなラインがきて順番に必ず当たるものであることを知る。軽くショック。PTAって何すんねん、ってとこからなのにどうしたものかと思う。夫はもちろんそういったことは丸投げなので、「ふーん」って右から左に聞き流しながら、午後から来る職場の後輩たちのためにしゃぶしゃぶの準備をしているので腹立たしい。
昼からは1階に降りてくんなよと言われたので、2階に幽閉されながら久しぶりに一人の時間を楽しむ。ネットフリックスでチェックしているアニメ(今季はダンダダンと、チ。)を観たり、鑑賞が止まっていたストレンジャーシングス2などをみるが、いまいち気分が乗らないので本を読む。最近はまた少しずつまた本を読めるようになってきた。あまりに心身が疲れてくると文字を読めないし、単純に時間を捻出できない。本を読むほどに気力が戻ってきていることが嬉しい。買ったまま未読だった信田さよ子さんの『家族と厄災』をやっと読み切る。
読み終わりぼんやりとコロナ禍の時のことを思い出した。よく誰からも死角になって見えない一畳程のキッチンの隅で座り込んで泣いてたな・・・とかそういうこと。まだ子供達が幼稚園に行かず、下の子は1歳にもなってなかったので苦行だったなとか。思い出そうとしてもあまり記憶がないくらいで、とにかく毎日なんとかやり切るので必死だった。
ママ友とも「今はコロナ増えてきたから、やめておこうね」を何回繰り返したかわからない。
だけどそのおかげか、引っ越した今でも戦友のような存在になっている。それは辛い時期をお互いに認め合って、励まし合っていたからだろう。コロナ禍によって、家族の形態が否応なく変化してしまったこともそうだけど、何より「下手したら、もう離れてる家族と会えへんこともありうるな」ってことをよく考えていた。誰が一番大変だったなんて言い始めると不毛だけど、それぞれがそれぞれなりにしんどかったよね、と思う。それに比べて、今は随分個人的には楽になった。何より、ライブに行ったり、映画を見に行ったりすることに冷たい目線を家族から浴びなくなったことが嬉しい。今になって思うとものすごく窮屈だったなあ・・・とかなんとか考えごとが進み、過覚醒になってしまい、夜はずんと落ちこむ。体が落ち込むと心も落ち込む。アイスクリーム食べたいなって考えてたら、村上春樹の『ノルウェイの森』で出てきたいちごのショートケーキの話を思い出し、完璧なわがままなんて許されるのは一部の人間だけなんだよとかひねてしまい自滅。全てはお薬を減らしているからということで脳を麻痺させ眠った。
あのこのにっき
どうにもこうにもならへんことばっかりなような気がしてる。ずっと先も。
胸のあたりがきゅうってして、「あ、わたし、泣くかな」って思ったけど涙は全然でえへんかった。
うまく泣けたらすっきりしたんやろか。
心をどこかへ飛ばす癖はいつからついたんやろう。
いっつも胸がもやもやしたり、きゅうってしてきたら、心臓をもぎ取ってどっかのどぶにむかって放り投げてる妄想をする。
ドボン、っておちたそれは、濁った水といっしょに海まで流れてくんやろうなとか、そういうことを考えて、夜やったらなんも汚いもんも見えんくて、ただ水面がキラキラ光って綺麗なんかなとか考えたりする。そしたらわたしも、どっかに流れていけそうで安心する。
久しぶりにカナと廊下ですれ違ったら、夏やのに長袖着るようになってた。クラス変わってからみたい。アイは「リスカやで、あれ。キモいよな」っていってた。そんなこと簡単にいうアイって怖いなって思った。わたしもあるもん、切りたくなる時。
いつも切るんは怖いから、太ももにシャーペンの先っぽで跡をつけてみたりする。ちょっと赤くなっただけで、すぐ消えてしまって、なんか寂しかった。だんだん強く当ててると、加減がわからんくなってくる。結構きつくしてもうて、跡が結構のこった。スカートの中やから、絶対に誰にもバレへんところ。ちっちゃい傷があるだけやのに、なんか特別なお守りを持ってる気分になった。
いつか痛いのが怖いって思わんくなったら、わたしもカナみたいにいっぱい切るんやろか。もうクラスも変わって喋らんくなったから、前みたいに話しかけたらあかん気がするし、こういう話は気軽にしたらあかんことやとも思う。
昔はこんな感じじゃなかったのに、わたしいつからこんなん考えるようになったんやろ。
最近は自分が、ちょっと怖い。
20240702雑感
子供の頃、雨に濡れるのがすきだった。
しとしと雨なら傘は役に立つけれど、大雨暴風では傘なんてあっても役には立たない。
もうそういう時は傘を畳んで、どうせ濡れてんだとばかりにずぶ濡れになって歩いて帰った。
雨が降ると草の匂いをより濃く感じることができたし、雨粒が肌を打ち付ける痛みも心地よかった。
鍵っ子だったから、家に帰ると誰もいなかった。
湿度が充満した部屋に入ってクーラーをつけ、衣服を脱ぎ捨て風呂に入る。風呂から出て新しい服に着替えたら布団にくるまり宿題なんてせずに兄の部屋から持ってきた漫画を読み、飽きたら眠った。
眠る前、そんなことを思い出した今日だった。